鮫ヶ尾城跡 入口看板(景虎看板)

新井・矢代エリア 観光 歴史文化

鮫ヶ尾城は上杉謙信が支配した越後を代表する山城跡の一つで、信越の国境地帯を望む交通の要衝に位置し、隣国大名の侵攻に備えた大規模な山城です。謙信没後に起こった御館の乱と呼ばれる家督相続争いの決戦の舞台であり、上杉景勝が上杉景虎を追い詰め、景虎が自害して勝敗が決したことで有名です。歴代の城主は不明ですが、御館の乱の際にやり取りされた古文書には「堀江宗親」の名前が見えます。鮫ヶ尾城の築城にあたり、鬼門に当たる方向に矢代川の奥地から矢代大明神を勧請してきたと伝えられています。これが現在山麓に鎮座する斐太神社に祀られている「事代主命」です。おそらく、土地を支配した武将とその領民が、最後に神仏を頼って立てこもろうとした場所が山城であったため、鮫ヶ尾城についても、神仏の加護を受けるために古くから鎮守の森とされてきたこの場所を選んで普請されたと考えられます。山城の正面口は山川が流れる谷筋にあり、少し下流の乙吉地内には城将の館跡がありました。測量調査や発掘調査を経て、平成20年に国の史跡に指定されました。

詳細情報

住所

新潟県妙高市宮内

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