斐太神社

新井・矢代エリア 観光 歴史文化

正式には「延喜式内斐太神社」と言います。延喜式とは、延喜5年(905)に編さんがはじまり、延長5年(927)に完成した律令の施行細目です。この『延喜式』には神名帳と呼ばれる部分があり、神祇官が統括する当時の官社の名前が国・郡別に記載されています。越後国頸城郡のところには13社の書上げがあり、その中に「斐太神社」の名が登場します。神社の本殿には大国主命・建御名方命・事代主命の三柱が祀られており、大国主命が主祭神となっています。建御名方命は、江戸時代には諏訪大明神と呼ばれ、もとは南葉山頂に祀られていた諏訪神社の祭神をふもとの宮内に分霊してきたものと伝えられています。また、事代主命は江戸時代には矢代大明神と呼ばれ、矢代川上流の岡沢地内に祀られていたものを戦国時代に上杉謙信が鮫ヶ尾城の鬼門鎮守のために遷座したと伝えられています。宮司の倉科家はもと京都の公家であったといい、承久の乱で敗れた順徳天皇に従って越後に赴き、当地の斐太神社の世襲宮司になったと伝えられています。

詳細情報

住所

新潟県妙高市神宮寺

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