鮫ヶ尾城跡 通称本丸跡(山頂部)

新井・矢代エリア 観光 歴史文化

鮫ヶ尾城は平野から信越国境までを見渡すことができる戦略上の要所に位置し、要害に適した複雑な地形に恵まれていました。しかし、選択の条件としては、この丘陵部が斐太遺跡や古墳群、斐太神社が立地する古くからの鎮守の森であり、山麓で暮らす人々の信仰が深く根付いていたことが重要な要素であったと考えられます。鮫ヶ尾城の正面口は山頂から見て南側に延びる尾根筋にあり、ふもとからは左右に屈折しながら進む登城道や敵兵を迎え討つための武者溜り、土塁・切岸を組み合わせた出入口などが連続して設けられ、自然地形を残さないほど徹底的に加工されています。山頂部は眺望に優れ、遠く日本海から信越国境を隔てる関田山脈までを望見することができます。これまでの発掘調査によって、鮫ヶ尾城は上杉氏と武田氏の抗争が激化していく16世紀後半に整備拡充され、天正7年(1579)の御館の乱の戦火によって廃城になって以後、再び使用されることがなかったことが確かめられています。我が国の戦国史において特に有名な合戦の一つである川中島合戦や、謙信没後の武田氏・織田氏・北条氏などの隣国大名の勢力図を大きく塗り替えた御館の乱に関連する山城跡であり、廃城になった天正7年段階の姿を忠実に留めた貴重な山城跡の一つとなっています。

詳細情報

住所

新潟県妙高市宮内

Google map